「別に地球総攻撃に反対する気はない」
ムーン・ラット・キッスが立ち上がった。
「ただ地球にはもう千四百年くらい行っていない。総攻撃の前に、私に最終調査をさせてもらおう」
エブリー・スタインが再びこの場に現れた。隠れてふたりの会話を聞いていて、我慢ならなくなったようだ。
「不同意。サライの後も、セレネイ王国情報調査部の情報員が日本で事前調査を行っている。報告書をまとめ、後は総攻撃をするだけだ。あなたが行く必要などない」
「それでは足りないと言っている。私が地球の日本国に行き、最終調査を行う。それでいいな」キラーリ公主が肩をすくめる。
「相変わらず強引なんだから。月の先住民族、ムーン・ラット族最後の生き残りとして、あなたには出来るだけのことをしているつもりなんですけど!」
「そうだな、誠にかたじけない。感謝する。これでよいか?」キラーリ公主がため息をついた。
「チェスで決めましょうか」
チェスは地球のチェスによく似たゲームである。もともとは月から地球へ移住した人間たちが、地球で伝えたものらしい。
太陽系でもチェスは盛んだが、八種三十二個の駒を使う。駒は惑星の形をしている。駒の種類は火星、水星、木星、金星、土星、天王星、地球、月。キングにあたるのが月と地球だった。「私が月。女王陛下が地球。女王陛下が勝てば、地球総攻撃に備えた日本への最終調査を認める。それでいかがです」
キラーリ公主は「女王陛下」と尊称で呼んだ。当たり前だが、心の内《うち》は反対だった。
「よかろう」
エブリー・スタインが顔色を変える。
「姉上、よろしいのですか?」
キラーリ公主は何も答えず、ムーン・ラット・キッスを正面から見つめている。ムーン・ラット・キッスが黒づくめの姿でベッドに上がり、キラーリ公主と向かい合う。
侍女が正方形のチェス盤と駒を持ってきた。侍女が駒を並べる。 エブリー・スタインはハッとしてふたりの間に置かれたチェス盤に目を向ける。(そうか、姉上はチェスの名手だった)
ムーン・ラット・キッスは無言のまま、ペンダントを右手に握る。
(悠ちゃん。私、行く。きっと地球に行くからね。飛鳥というキラーリと同じくらいものすごく醜い女が悠ちゃんに近いのが、私は気になってしょうがないもの。悠ちゃんみたいないい子を、あんな醜い女なんかの自由になんかさせない)
「さあ、女王陛下からどうぞ」
キラーリ公主がベッドに横たわっていた頃。全身黒ずくめの女性がスタジアムに入る正目面玄関を見上げていた。あたりに人の気配はない。スタジアムからはザワザワと人の声が聞こえてくる。「みなさん、お静かに願います」 アナウンスの声が響いてくる。 ここはセレネイ王国地上中心部フルムーン・シティに建設された「ムーン・パーク」。 ムーン・パークとはセレネイオ王国地上中心部にある円形の公園である。面積約十ヘクタール。東側に正面出入口があり、公園の中心には円形の花壇に囲まれた噴水がある。これだけで二ヘクタールの面積。 花壇には、月だけに存在する「ムーン・リバー」という花がたくさん植えられている。この花は一年中、ゴールドに輝くきらびやかな花をちりばめながら、太い茎がほぼ一直線に空に伸びる。最高で成層圏に達するほどまで生長すると云われ、「ムーン・リバー」のひとつは八キロの高さまで達していた。 「スカイ・ウォーター」と呼ばれる噴水は、月の成層圏十一キロメートルの高さまで噴き出す。 花壇の回りにはいくつものテーブルやベンチが置かれ、恋人同士や家族連れが、花壇の花々と空高く噴きあがる噴水を見て喝采を叫んでいた。この周辺には数多くのミニショップが集まり、軽食や飲み物、スィーツや玩具を販売していた。 北側には野外ステージがあり、休みともなればミニコンサートや演劇、映画などの催し物で賑わう。キラーリ公主やエブリー・スタインが主催する交流会やコンサート、「キラーリ公主を撮影しよう ボランティア・撮影会」などのイベントも開催され、若者たちの人気である。野外ステージに接して成層圏まで伸びる「スペース・コースター」をはじめとする乗り物広場があって、家族連れに圧倒的人気である。 南側は、野外レストランの立ち並ぶスペースとなっており、花や草木などの自然や小鳥のさえずりを楽しみながら、野外に置かれたテーブルで食事の時間を過ごすのだった。 だがムーン・パークの西側を見てみよう。そこだけはほかのスペースとは、全く印象が違っていた。うっそうとした森に囲まれ、寂莫とした雰囲気に包まれている。森を抜けると目の前にスタジアムが表われる。 スタジアムの正面玄関の前には、赤い立体文字が宙に浮かび上がっていた。 ぞっとするように案内だった。<本日セレネイ王国特別法国家反逆罪に関する死刑
「セレネイ王国のみなさ~ん、こんにちは。月の王女様、セレネイ王国の摂政、キラーリです。地球総攻撃の決まったことをお知らせしま~す。」 ムーン・ラット・キッス女王が立ち去ってしばらくした後の宮殿。キラーリ公主の陽気で明るい声が響き渡る。「地球は元々、月から分離した兄弟惑星。地球の発展は、月から移住した月世界の人間が実現したようなものですよね。その後、月世界は隕石の雨のせいで廃墟と化し、空気が少なくなったりして、とっても住みにくくなりました。地球人類を滅ぼし、私たちセレネイ王国のセカンドハウスにしましょうよ」 テニスルックのキラーリ公主が、左右に優雅に舞いながらテニスラケットを振る。襟元がホワイトのライトピンクのポロシャツにホワイトのプリッツスミニスカートで、太腿を惜しげもなく晒している。ホワイトのハイソックスがキラーリ公主の大きな目にピッタリとマッチし、まるで少女のようにあどけない可愛さを演出していた。 キラーリ公主はラケットを手に華麗に舞い、その度にスカートがフワフワと跳ね上がる。白い太腿がキラキラと柔らかく輝く。キラーリ公主はニッコリとウィンクしながら微笑みかける。 タオルを受け取り、目を輝かせながらそっと顔をぬぐう。夢見る乙女の瞳が光る。 本当のことを言えば、キラーリ公主は笑ってもいないし、夢を見てもいない。彼女の心の中を見てみよう。(ひとりだろうと一億だろうと、人を動かすなんて簡単簡単。イケメンと美女さえいれば、言葉なんて要らないから。おじいさんやおばあさんが、百時間使って話したって、だーれも動かない。見苦しいものなんか見たくないし、聞きたくないんだもん) 一方、ベッドの上には、腹ばいになったもうひとりのキラーリ公主がいた。テニスルックのキラーリ公主は、国民へ地球総攻撃を報告するための立体動画だった。女性用にはエブリー・スタインの立体動画も用意されていた。 ムーン・ラット・キッスが地球に向かって最終調査をするために地球総攻撃は延期。キラーリ公主のテニスルックは、まだ一般には公開されてはいない。 立体動画のキラーリ公主は、最初から最後まで笑顔を絶やさない。「セレネイ王国の軍隊を支えてくださる義勇兵を募ってます。参加が難しかったら、義援金をお願いできないかしら。みなさんのご協力が、地球を滅ぼし、セレネイ王国の未来を築きます」 キ
キラーリ公主にとっての三十分は、チェスのゲームを終了させるのに十分な時間だった。 ゲーム開始から三十分後。宝石の輝きに囲まれた大きなベッドの上に、キラーリ公主とムーン・ラット・キッスが向かい合って座っている。 キラーリ公主はゴールドの駒。ムーン・ラット・キッスはシルバーの駒。 地球以外の惑星で行われるチェスでは、特にどちらの駒が先手とは決まってはいない。今回のゲームは、キラーリ公主が声をかけてシルバーが先手となった。 キラーリ公主の側に月の形のキング。 ムーン・ラット・キッスの側に地球の形のキング。 自分の駒を駆使し、相手のキングを取った方が勝利となる。 キラーリ公主は太腿もあらわに横座りし、膝小僧を前に突き出していた。白い肌が甘く柔らかく輝く。 ムーン・ラット・キッスは黒いガウンから右手だけ伸ばして駒をつまんでいる。 チェスボードに、シルバーの駒はほとんどん残っていない。 キラーリ公主は余裕たっぷりの表情で、ムーン・ラット・キッスの次の手を見つめている。 ムーン・ラット・キッスはベールを垂らしているため、顔の表情が全く分からない。 ベッドのそばでは、エブリー・スタインが軽蔑の眼差しでムーン・ラット・キッスを見つめている。(ムーン・ラット・キッス。振り下ろした駒をどこに置く? 姉上にチェスで敵うはずがない。お前が負ければ、地球で最終調査などする必要はない) ゲームは、とっくにキラーリ公主の「チェック」まで来ていた。ムーン・ラット・キッスは火星の駒を手にしたまま、どこに置くことも出来ずにいた。「どうぞ、ごゆっくり。私はいくらでも待ちましょう。あなたが諦めるまで」 エブリー・スタインはこの言葉を聞き、内心、腹を抱えて笑っていた。(諦めろ。月の先住民族の老いぼれ) ムーン・ラット・キッスは駒をどこにも置けないまま、すでに五分が経過した。 キラーリ公主はニコッと楽しそうな笑いを浮かべた。「一応申し上げておきますが、すでにこのゲームは『チェックメイト』です。なぜかと云えば……あっ!」 キラーリ公主の驚いた声。ムーン・ラット・キッスが手にしていたシルバーの駒が、キラーリ公主の顔のすぐそばを通過した。頬にかすかな衝撃。そのままシルバーの駒は、ベッドの床に叩きつけられた。「チェックメイトは永遠に来ない」 ムーン・ラット・キッスが
「別に地球総攻撃に反対する気はない」 ムーン・ラット・キッスが立ち上がった。「ただ地球にはもう千四百年くらい行っていない。総攻撃の前に、私に最終調査をさせてもらおう」 エブリー・スタインが再びこの場に現れた。隠れてふたりの会話を聞いていて、我慢ならなくなったようだ。「不同意。サライの後も、セレネイ王国情報調査部の情報員が日本で事前調査を行っている。報告書をまとめ、後は総攻撃をするだけだ。あなたが行く必要などない」 「それでは足りないと言っている。私が地球の日本国に行き、最終調査を行う。それでいいな」 キラーリ公主が肩をすくめる。「相変わらず強引なんだから。月の先住民族、ムーン・ラット族最後の生き残りとして、あなたには出来るだけのことをしているつもりなんですけど!」 「そうだな、誠にかたじけない。感謝する。これでよいか?」 キラーリ公主がため息をついた。「チェスで決めましょうか」 チェスは地球のチェスによく似たゲームである。もともとは月から地球へ移住した人間たちが、地球で伝えたものらしい。 太陽系でもチェスは盛んだが、八種三十二個の駒を使う。駒は惑星の形をしている。駒の種類は火星、水星、木星、金星、土星、天王星、地球、月。キングにあたるのが月と地球だった。「私が月。女王陛下が地球。女王陛下が勝てば、地球総攻撃に備えた日本への最終調査を認める。それでいかがです」 キラーリ公主は「女王陛下」と尊称で呼んだ。当たり前だが、心の内《うち》は反対だった。「よかろう」 エブリー・スタインが顔色を変える。「姉上、よろしいのですか?」 キラーリ公主は何も答えず、ムーン・ラット・キッスを正面から見つめている。ムーン・ラット・キッスが黒づくめの姿でベッドに上がり、キラーリ公主と向かい合う。 侍女が正方形のチェス盤と駒を持ってきた。侍女が駒を並べる。 エブリー・スタインはハッとしてふたりの間に置かれたチェス盤に目を向ける。(そうか、姉上はチェスの名手だった) ムーン・ラット・キッスは無言のまま、ペンダントを右手に握る。(悠ちゃん。私、行く。きっと地球に行くからね。飛鳥というキラーリと同じくらいものすごく醜い女が悠ちゃんに近いのが、私は気になってしょうがないもの。悠ちゃんみたいないい子を、あんな醜い女なんかの自由になんかさせない)「さ
「それではご挨拶に続きまして、銀河連邦から最新決議について報告します。太陽系の地球に対して総攻撃が決まりました。最終目標は地球人類の滅亡です。総攻撃については、太陽系ブロックの代表理事国である月世界セレネイ王国が単独で行うことになりました。日本という国が、単独で地球全体に大きな影響を与えることが総会でも満場一致で確認されたので、第一段階として、まず日本を滅亡させることとなります。詳しい計画については、いずれキラーリ摂政より報告がされる予定です」 今、バレリー広報官は、銀河連邦を代表する広報官の立場から、よどみない口調で報告を続けていた。「総攻撃に至った理由はこれまでも報告してきた通り、地球の所蔵する核爆弾及び環境汚染が、太陽系のみならず銀河系宇宙全体の脅威となると判断されたためです。」 キラーリ公主は、ムーン・ラット・キッスがバレリー広報官の立体動画をじっと見ている様子を観察していた。かすかに肩が震えている。心の動揺を表している。だが地球の運命など、ムーン・ラット・キッスの興味の対象外のはずだ。「総会では地球からの弁明を聞かないで、地球総攻撃を行うことについて反対意見もありました。だがそれは不可能なことです。地球には様々な国家が存在します。どのような政治形態であれ、惑星でひとつの国家が成立している銀河系のほかの惑星とは違います。そもそも銀河系宇宙連邦に加入する資格がありません。地球の代表が存在しない限り、弁明を聞くことは出来ません。総攻撃は決定です。地球滅亡後の地球の管理については、月世界セレネイ王国が中心になって行います。以上、銀河連邦総会での最新決定事項を報告しました」 バレリー広報官の報告が終わった。「それから、私が主役の動画『バレリーのあなたへの気持ち』、現在絶賛発売中です。売り上げの一部は銀河連邦の貧困惑星支援に当てられます。寄付金付でお買い上げのみなさんには、金額に応じて私の独占動画や私が使っていたネクタイ、ハンカチーフ、シューズをサイン付きでプレゼントします。では動画の一部をお見せしますね」 バレリー広報官がニッコリ笑顔でスカートをひるがえし、白い太腿に手を添える。「でもちょっとだけですよ」 バレリー公主がスカートのすそを手にする。「やかましい」 キラーリ公主がイライラした表情でリモコンのスイッチを押した。バレリー広報官の姿が消
リモコンの正面、ベッド中央のキラーリ公主とベッドの縁のムーン・ラット・キッスの間の空間に、ひとりの女性が出現した。確かにその場所に存在するのだが、目が慣れてくればどこか違和感を感じる。その場にいるようで、その場にいない。例えて云えば、蜃気楼《しんきろう》のような存在。 キラーリ公主とムーン・ラット・キッスのふたりは別に驚く様子はない。 再生された立体映像であった。 一メートル九十センチ以上の長身の女性。ゴールドのブレザー、ミニのアコーディオンスカート。ホワイトのブラウスにゴールドのネクタイ。日本の女子高校生の制服に似たファッションにゴールドのハイソックスとシューズ。 髪型はショートカット、大きな目に大きな黒い瞳。そして大きな口が親しみを感じさせる。ニッコリ笑うと、ドキッとするほど愛らしい。よく見れば体がスリムすぎて脚も細すぎるのだけれど、女子高校生の制服を着るとそれが大きなアピールポイントとなった。 特にゴールドのハイソックスは、白く細い脚の魅力を華麗に引き立て、誰もがいつまでも見とれてしまう。 だが彼女は少女ではない。 銀河系宇宙を統括する銀河連邦のバレリー広報官であった。 銀河連邦。銀河系宇宙の約七百の惑星が参加する連合組織である。どの惑星も、銀河連邦での決定には無条件で従わなければならない。決議に違反すれば、最終的には銀河連邦軍の武力攻撃を受ける場合もあった。 銀河連邦では、加入する惑星があまりにも多いため、銀河系宇宙をいくつかのブロックに分割し、ブロックの代表理事国を決定。代表理事国からなる銀河連邦総会で重要事項について会議が行われていた。 セレネイ王国は、太陽系ブロックの代表理事国であった。 バレリー広報官は48系ブロックのマスカット星出身。将来は銀河連邦事務総長との噂もある。地球の年齢に換算すれば既に三十歳を超えていた。 だが、あえて銀河系宇宙で十代の女性に流行しているファッションを身に着け、大人の女性の厳粛さにひそむ少女の可憐さ、悪戯っぽさを演出していたのである。銀河連邦の惑星の間では販売用動画が計算不可能な「∞」(無限)の売り上げ点数を記録していた。 自分も動画を販売しセレネイ王国の資産を増加させようと考えていたキラーリ公主にとっては、一番のライバルである。残念なのは、バレリー広報官は、キラー